昔読んだ本の中で、とても印象に残っているものがあります。
心理学者・加藤諦三氏の「感情を出したほうが好かれる」という本ですが、その中には「なるほど」と納得させられることがいっぱい書かれていました。
人は自分の欠点や弱点を隠そうとしない人の方が魅力的に見えるというのです。そして、自分の弱点を出せる人間の方が、男らしくもあり、女らしくもあるというのです。
弱点がない人間が理想的な人間ではなくて、弱点が出ても心理的に混乱しないことが理想なのです。
弱点を隠して「理想の自分」を演じても人は親しみを感じない。
そうではなくて、弱点が出ても、心理的に穏やかでいたり、自分ができないことを素直に認めて修繕しようと努力している姿を見て、
人は、あの人は「立派だな」「素敵だな」と感じるそうなのです。
弱点を隠して、虚勢を張って生きている人は、必死で生きながらも実りのない人生を送ってしまい、最後には挫折しか残されていない、つらい人生を送りがちになってしまう。
彼らの理想の自分には、「こころ」がないから、当然、周囲に集まる人も「こころ」がない人が多い。
他人の弱点もやさしさのない目で見ているからこそ、自分の弱点を隠そうとしてエネルギーを消耗してしまうのだそうです。
やはり自分から出たものは自分に返っていくもので、相手に対する冷たい眼が、自分の人生もつらくしてしまうのです。
「完全主義の人は、無駄を嫌いながら最後には人生そのものが無駄としか思えないような生き方をしてしまう」とアメリカの心理学者のデヴィット・シーベリーも述べていましたが゛、私は人生で中で、無駄なことなどひとつもないと思っています。
無駄を嫌って生きることは、人生の楽しみを半分にしているような行為です。
経営者の中には、この手の考え方が多く、自分が無駄だと思うことを、家族にも押しつける人も珍しくありません。
どうしても家庭内が寒々としてきて、「こころ」のない家族関係になりがちです。
どんなに親しい間がらでも、「無駄」と感じる基準は、人によって大きく違います。
自分の「無駄」を人に押し付けない生き方こそ、人にやさしく、自分の人生をあたたかくしていくのです。
下の写真は、気功の懇親会で、余興で来てくれたベリーダンサーの写真ですが、頬の横にオーブが写っています。
魂が楽しいことをしていると、周囲の人から見ると、とてもキラキラして見えます。
彼女は、こころから楽しんでダンスを踊っているんでしょう。
ある人にとって無駄に見えることも、本人にとっては最高のこと、そういう事は多いですよね。