私はかって死を恐れていました。
人は死んだらどうなってしまうのだろうかと考えだすと、不安でたまらなくなっていたのです。
自分の死をじっと考えていると、体が暗黒の世界へ落ちていくような感覚に襲われて、
冷や汗をかいてしまうような体験に何度もさいなまれているうちに、生きている間に、
死というものの真実を知ることはできないだろうかという探求心が生まれてきたのです。
その探究心から、私は「ある体験」を通して、死の真実を知ることができました。
そして「永久の幸」を手に入れました。
私のように、死の真実を知る体験をして、死を恐れなくなった人たちが、
この世界に、ほんの一握り存在しています。
でも、そうではない、ほとんどの人は、以前の私のように死を恐れて生きています。
人は、なぜ、死を恐れるのでしょう。
これは論理で説明できることではないようです。
直感的に、無条件に、誰もが死を怖がっているのです。
死んだら地獄に行くかもしれない。
自分が「無」になり消えてしまうから怖いわけではないのです。
ただ漠然と、死を考えると、自分の中からいい知れぬ恐怖感が湧いてくるのです。
「自分は死ぬのなんて怖くない」と豪語している人でも、死を間近に迎えると、
恐怖心が心の底から湧き上がってくるものです。
大地震やハリケーンなどに遭遇した人たちの話を聞くと、
「自分が死ぬかも知れない」と感じた瞬間に押し寄せる恐怖感は、
今まで体験したことのないような「ひたすら怖い」ものであるといいます。
そういう絶望的な恐怖を人間に感じさせるものが死で、
その恐怖感は普段は覆い隠されているけれども、けっして、人間から離れない感覚なのです。
人類にとって、「人が死んだらどうなるのか」という問いは、永久にとけない謎なのです。
なぜなら、生きている間は死後を体験できないからです。
当然、誰にも証明することなどできない。
過去数千年に渡って、先人たちは死後の有無について議論を重ねてきていますが結論は出ないままなのです。
死後のことは現代科学でも証明できると考えている人は多いと思います。
その根源の考え方は「自分の死は存在しない」という考え方です。
生きている間、他人の死は確認することができるが、
自分の死後は、自己の存在が無くなるため、自分では知ることできないというものです。
すなわち、自分の死は存在しないという考え方です。
現代科学は、宇宙のすべての現象を物質とエネルギーで説明しています。
この理論から見ると、確かに人間の肉体の死は無であり、死をもって終了してしまうのです。
でも、現代科学の欠点は、物質とエネルギーの範囲内のことだけしか立証できないということです。
しかし、私たちに起きる全てのことが、物質とエネルギーで説明できると決め付けて考えてしまうことに、
近年、疑問を投げかけている学者も増えていますし、
精神活動のすべてが脳内現象で説明がつくということは、逆にまったく証明されていないのです。
死は私たちの想像や、思考を超えた存在であり、死は大きな壁を作って私たちの想像や思考を拒絶しているものです。
でも、その死に対して想像や思考を働かせて探求してみること、つまり、死についても、その先を調べてみればいいのです。
人類は、未知なることがあれば、みんな調べていったのです。
まだ地球が丸いと知らないころも、この海の向こうを知りたいと思った勇者たちは
大型の船を作り、何年もかけた航海に旅立ちました。
ミクロの世界もそうです。顕微鏡を発明してさまざまな動物や植物の細胞を発見し、
今では、原子や超微粒子までわかるようになってきたのです。
人間はわからないことがあれば、さまざまな装置を開発し、調べ上げてここまで文明を発展させてきたのです。
ですから、死についてもその先に何があるのか調べていけばいいのです。
ところが、人間はいままで、死の先について調べるという研究を本気で取り組んではきません。
死を調べることは、「神の摂理」に触れるような言い伝えや、宗教などがさらに「死の探究心」を阻んできました。
つまり、死の壁を作って、先に踏み込むことを拒絶していたのです。
しかし、死の向こうに何があるか、死後はどうなっているのかがわかっていれば、かかえている恐怖心は、いくぶん消え去るものです。
それどころか、まったく恐怖が無くなって、死を迎えるのが楽しみになるかもしれません。
現に、私が死を恐れなくなったのは、「死後の世界を見た」からです。
そう、死後の世界を体験したことで、重苦しい死の恐怖から解放されてしまったのです。
人間は、体験することで真実を学んでいきます。
私は幸運にも、死後体験から、
人々が長年、望んでやまない「悟り」の境地を垣間見ることができたといえるのでしょう。
私が死後の世界を最初に見たのは本当に幼い頃です。
プールで溺れたときに、自分の体をフワフワと上から眺めていました。
そのうち、まばゆい光が目の前に広がり、私は光の中に向かいそうになりました。
しかし、下から私の名前を叫ぶ声が聞こえてきたので、急いで戻ったのです。
二度目の体験は瞑想中に起きました。
このことは、また、いつかブログに書きますね。
今日はこのへんで。